

岩手県花巻市に生まれた宮沢賢治は、37年の短い生涯に一度浄土ヶ浜を訪れたことがある。それは、大正6年(1917)7月のことだった。賢治21歳、花巻の実業家らと岩手県の沿岸部を視察に訪れたときである。 当時浄土ヶ浜へは蛸の浜から小船で行くことが多く、蛸の浜地区は羅賀礫岩層であることから賢治にとって無意識であっても洞窟の多い景観に興味を持ったことだろう。石っこ先生にとって宮古層への最初の出会いである。浄土ヶ浜を訪れた宮沢賢治は短歌を残した。


「うるわしの 海のビロード昆布らは 寂光のはまに 敷かれひかりぬ」
賢治はなぜ「浄土ヶ浜」という地名を用いず「寂光のはま」という表現を用いたのか。その頃の賢治は宮沢家の宗旨であった浄土真宗から日蓮宗へ宗旨替えした時期にあたり、熱心な法華教徒であった。「寂光」は仏教用語である。法華経に於ける「寂光土」は法身の住んでいる浄土を示すことから、賢治は浄土ヶ浜の白い岩肌と陽の光を受け鈍く輝く昆布の風景を「寂光のはま」と詠んだのだった。
