何故「血の池」とか「賽の河原」とか地獄に関する名前が多いのかというと景勝地・浄土ヶ浜の名付け親として知られる、宮古山・常安寺七世霊鏡竜湖和尚、天和元年から享保12年に存在した僧侶が名前をつけたとされています。当時浄土ヶ浜は舟かあるいは獣道を分け入ってたどり着く秘境でした。そんな浄土ヶ浜を訪れた霊鏡竜湖は浄土ヶ浜を仏の国に見立て先端の岬に地蔵を作り布教のため地名をつけたと言われています。

 その地蔵尊を子安地蔵というのですが、上図写真左下に赤い屋根の鞘堂が見えると思います。そこの地蔵は赤ちゃんを抱いた不思議な地蔵様です。全国に点在する子安地蔵は隠れキリスタンの聖母像であることが多いのですが、宮古では商人にとっては商売繁盛、漁師の方にとっては漁業安全、そして観光協会にとっては観光客安全の神様として毎年祭りを開催しています。

 上図の写真の下部、中央に入り江がありますがそこが「賽の河原」です。波が押し寄せる突端の岬にあるにかかわらず砂や小石が存在するのは不思議かなと思いますが、前にある岩が自然の堤防となり砂や小石の流出を防ぎ、さらに内湾の水が澄んでいるのはその石の堤防に隠れた穴が存在するからです。(条件があえばその穴から潮が吹くことがある)

 そして上図の写真突端にあるのが「血の池」です。「血の池」側面左側にある黒い筋が「石の廊下」です。それは節理に沿ってすとんと浸食されてできたものでした。

 浄土ヶ浜突端の岬です。満面の海、突端にあるのが血の池です。そしてその岬がまさか干上がるとは誰が予想したことでしょう。

それは2011年(平成23年)3月11日(金)14時46分18.1秒に、日本の三陸沖の太平洋を震源として発生した、超巨大地震で引き起こされた大津波でした。

 すでに第一波の津波が襲来、そしてどんどん波が引いてゆきます。この後、第2波が襲来するのですが、遠くを見るとたくさんの船が沖を目指して逃げていくのがわかります。海底にはスワンのボートが残り、岬の島端から勢いよく海水が流れだしています。「血の池」からの出水、信じることが出来ない恐怖の光景でした。